korentoの日々の手仕事ノート

手仕事のたのしみを綴っていきます。日常で感じることなども大切に。

シンプルに暮らすための手仕事

手仕事について考える

手仕事とブログタイトルに名を打っているのですが、まだまだ刺し子や刺繍の初心者レベルの段階にあります。

 

手仕事礼賛とまではいかないけど、現代のわたしたちの暮らしぶりが及ぼす地球環境への影響などのことを考えると、やっぱり昔の人々の暮らし方を取り入れることも必要なのではないのかなと思います。

昔の暮らし方へと全部戻すことは不可能なので、できるところを取り入れるという感じで。(といっても、具体策が出てこない。)

最近、民藝についての本をすこしずつ読んでいます。

民藝について、わたしはど素人なのでここで詳しく言及することはやめておきます。

ただ、手仕事のことを考えるときに、民藝というものについて考える必要があると思ったのです。考えるというよりも、学ぶ姿勢をもっていたい。

民衆的工芸のことを民藝と呼んだ柳宗悦氏。

彼によって大正時代の末期から昭和初期にかけて引き起こされた民藝運動。なぜ起こったのだろうと考えました。

明治維新後、日本が近代国家となるべく急速に都市化、工業化への一途をたどってきたことによって、生活があまりも大きく変化したがために思想家や文化人といわれる人々が疑問を投げかけたのではないでしょうか。

そして、それは令和となった新時代においても連綿と続いていると思うのです。発展を遂げながらも、日本人のなかに「どこかおかしいのではないのか」と疑問に思う感覚が常にあるのでしょう。

 

暮らしが仕事 仕事が暮らし

「暮らしが仕事、仕事が暮らし」河井寛次郎(1890〜1966)の有名な言葉。

河井氏は柳宗悦氏の民藝運動を実作者として支えた一人の陶芸家です。

日々の生活を大切にしない人間は、結局は仕事ぶりもダメなのだよという戒めの言葉と思っています。

日頃から怠惰に暮らしている自分への戒めでもあります。

日々の料理をつくることすら手抜きをしがちなわたし。どうしても心身ともに疲れていて料理をすることが難しいのなら惣菜や冷凍食品を使うことは仕方ないけど、できるときはちゃんと材料から料理をしたい。

ハンドメイド作品も生活のなかで使うものをつくっていきたいと思っています。そして、それを使い込んでどうなるのかも知りたい。

民藝における日々の暮らしに根づいた「用の美」。

やたらと流行を追いかけない、無駄で派手なものは取り入れない。シンプルに生活する。無駄なものは使わない、買わないという生活をできるだけしたい。とてつもなく理想ですが。

 

古きを守るも開発なり

柳宗悦氏は「古きを守るも開発なり」と説いたそう。

逆説的な発想ですね。

民藝とは、今のシンプルライフの先駆けのような考えだなぁと感じる部分があります。

わたしも、いいなと思う部分を取り入れながら、手仕事をしてシンプルに暮らしていきたいと思います。